やっぱり、政治への意見は「対案」がカギですね ~安保法案の対案は~

ちょうど4ヶ月前の5.17の大阪都構想。これを大阪市内で身をもって体験してからは、「対案」という言葉の重みを強く感じる様になった。

 

大阪維新の会が唱えた「大阪のよりよい姿」、それが「大阪都構想」だった訳だ。

それに対し、野党(大阪では府・市どちらも大阪維新の会が第一党の為、自民・公明・民主・共産等は野党と呼ばれる)は、ひたすら「反対」を唱えた。

 

ここで、大阪都構想を少しでも勉強していた方なら多くの方が思ったはずだ。

この住民投票では野党の「なぜ反対なのか」ばかりがクローズアップされ、野党の「では、どうする」という「対案」が理解しづらかったし、メディアも取り上げなかった。

 

結局は「大阪都構想」が否決となってから、手遅れのタイミングで "対案がない " という事実が露呈された格好。後で騒ぐメディアも大問題だ。大阪の財政難・二重行政を改善する策がないという危機感を、手遅れのタイミングで多くの人が気づいたのだ。私は、大阪市民としてこの苦い経験を少しでも未来に繋げる必要性を感じていた。

 

そんな矢先だ。安保法案の可否をめぐって、いま日本国中が揺れている。

 

この流れからお察し頂けるかと思うが、私は今回も反対派の「対案」が気になって仕方がない。誰の事を指すかというと、民主・共産等の野党、Seals、反対デモに参加する一般人など、とにかく「NO」「NO」と大騒ぎしている人たち全員に問いたい話だ。「対案」は何なのかと。

 

もしも「対案はない、現状維持が良い」と彼らが言うならば、それは最悪の回答だろう。松本人志さんはそれを「平和ボケ」と表現していたし、私もそう思う。何事も、都合の良い側面だけ見ていては、いつか痛い目にあう。日本が平和である為には、優先順位を決め、現状維持すべき事と、譲歩すべき事、これを示す必要がある。

 

とは言っても、私自身のスタンスも現状の自民党(というか安倍首相)の法案には反対だ。それは、ほぼ全ての学者が「違憲」と唱えるから、という理由に尽きる。それが通ってしまっては政治・法律の秩序が無くなるから、だからこの法案には反対だ。決して、集団的自衛権の行使そのものが反対とかそういった類の「とにかくNO」という意見ではない。

 

私は維新の党が提出した「対案」が唯一、評価されるべき内容だったと思う。(厳密に言えば橋下徹氏が提案したものに違いないが)こう言うと「橋下信者」なんて言われてしまいそうだが、多くの学者がそれを「合憲」とし、その内容も国民にとって非常に分かり易い内容だったからである。決して分かり易い内容だから平和につながる訳ではないし、逆もありえるのだが、何より「合憲」を元にした次の対案を考えるべきだ。

 

今回の野党らの「対案」は何なのか。ここをハッキリしないまま、来年の参議院選挙を迎えるのが非常に怖い。もし、これで民主などの野党が圧勝する展開になれば・・また大阪都構想・否決後の大阪と同じ状況になるのではないか。蓋を開けてみると、「対案」がないという地獄。この状況は絶対に避けなければならない。

 

こんな話を考えていると、ふと思い出した。

昔、学校や会社で先生や上司にもよく言われたなぁ。。

「人の意見を潰すのは簡単。あなたの意見を言った上で、人の意見に反対しなさい。」

 

つくづく、、やっぱり、政治への意見は「対案」がカギですね。

 

 

 

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